私たちが感謝するのは、暮らしや条件が少し良くなったからではなく、恵みのゆえに感謝するのである。この恵みを悟ることができなければ、計算高い人生となり、条件や暮らし向きだけを見て、不満と不平を募らせるようになる。ある息子が、おつかいばかり頼まれるのに何の見返りもないと、母親に請求書を書いた。
 -請求書-
 「スーパーへ買い物3回で150円。居間の掃除20円。妹の世話100円。布団を畳んだこと1週間分で140円。合わせて410円」
 これを受け取った母親は、とてもおかしくて笑った後に、息子にこのような請求書を渡した。
 -請求書-
 「出産費用無料! 養育費無料! 病院費無料! 今まで食べさせてあげたものすべてタダ! 公園に連れて行ってあげたこと無料! 家族旅行費無料! 合わせて無料!」
 私たちが救いを受け、健康で呼吸をし、生きていることは、すべて神さまの恵みの連続である。そのため、私たちはすべてのことに感謝しなければならないのである。(「一生感謝365日」ゾン:クゥアン著より)
 
 もし自分が与えられていないと考えていることばかりに焦点がいけば、不平や不満しか出てこないでしょう。しかし、私たちはどれだけのものをタダで受け取っているかということに目を向けるならば、その圧倒的な量の多さに空いた口が塞がらなくなるでしょう。あなたの家の電気代は今月いくらかかりましたか? もし神さまから日光の値段を請求されたら支払うことができますか? 中東では、ドラム缶一つの水の値段がドラム缶一つの油の値段と同じだそうです。しかし水は神さまが無料でくださるものを、人が値段をつけているだけなのです。
 人間にとって本当に必要なものは、すべて神さまからタダで与えられているのです。今週も感謝感謝の毎日でありますように!