私は30歳間際で修道院に入ることを決心し、その後、修道会の命令で修練のためアメリカに行き、修練終了後、再び命令で学位を取り35歳で日本に戻りました。次の命令で岡山のノートルダム清心女子大学に派遣され、その翌年、2代目学長の急逝を受けて思いがけない3代目の学長に任命されました。36歳でした。東京で育った私にとって、岡山は全く未知の土地であり、さらにこの大学は、初代も2代目もアメリカ人の70代後半の方が学長を務めていました。その大学の卒業生でもなく、前任者たちの半分の年齢にも満たない私が学長になったのですから、周囲もさることながら、私自身、驚きと困惑の渦中にいました。修道院というのは、無茶と思えることでも、目上の命令に逆らうことは許されないところでしたから、私も「これが神の思し召し」として従ったのです。初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか、“くれない族”になっていました。「挨拶してくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。岡山という土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。(「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子著)
そしてこんな言葉に目がとまりました。どうしても咲けない時は、無理に咲かなくてもいいから、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために・・・