歴史上、韓国がこれほど豊かな時代はありませんでした。今も絶対貧困階層はありますが、韓国の経済力はすでに世界レベルです。しかし問題は、満足度指数が落ちてしまったということです。そのため、以前よりも不満の声がさらに増しました。
 人間の欲を満たせるものはありません。人間の欲は底なしの壺のようなものです。願っていたことが成就すれば満足できるでしょうか。15坪のアパートから30坪のアパートに引っ越せば宮殿のように感じますが、その満足感はどれほど続くでしょうか。50坪ほどの家に遊びに行って帰って来ると、長患いします。だからと言って、50坪の家に引っ越しをすれば満足できるでしょうか。以前80坪を超える家を訪問したとき、その家の主人は「子どものカバンを置くところがないんです」と言いました。このように欲には終わりがありません。
 それにもかかわらず、人類は何かを手に入れると満足できると考えます。人間の満足は手に入れることによって得られるのではありません。それは条件の問題ではなく、心の問題だからです。貪欲は神から離れた、その空白から生じるものです。ですから、あらゆるものをつかんでも、むなしさや飢え渇きが襲ってくるのです。
 豊かで満たされた人生を望むなら、まず自分の心に神への飢え渇きがあるかどうか振り返ってください。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」(詩篇23篇1節)と告白できるなら、幸せで祝福された人生です。        (イ・ギュヒョン著「深い満足」より抜粋)

 「これを手に入れたら満足することができる・・・」というのは、資本主義社会やハリウッドが作り上げた虚像なのです。豊かさは悪いものではありません。一時的にでも満たされたような錯覚を起こすことができるでしょう。しかし、人生における本質的なものを見失わせてしまうならば、本(元)も子もありません。「神」を求める心があれば、何もなくても満足できる秘密がそこに隠されています。