チョーヨンギ先生の「神の摂理」という著書の中からの抜粋です。
「お母さんの言うとおりですよ。足の代わりに、父なる神が私の身体を支えて下さるので、不便なことはありません。」少年のこの言葉が、どのような状況の中で出てきたのかを知るならば、感動しない人はないでしょう。これは腰から下の下半身がない11歳のアメリカの野球少年、ケイシー・マッカリスター君の言葉です。ケイシーは6歳の時トラックにひかれて腰から下が砕けるという大事故にあいました。一般的にはこのような大事故にあうと、身体はもちろん心まで、そして家族全体が崩壊する場合が多いはずです。しかし、このようなとんでもない大事故でも、彼とその家族の勇気を奪うことはできませんでした。そして誰の心にも傷や恨みがまったく残りませんでした。彼の家族は、パーティーを開くとき、ケイシーをひいたトラックの運転手まで招待し、交わりを持っているそうです。彼は現在学校で野球選手として活躍しています。彼は両手でボールを打って、両手で走ります。そんな身体で野球をすることが困難ではないのかという質問に「他の子たちより遅いことは確かですが、でもその代わり長打を打てば問題ありません。」と答えていました。彼は野球だけでなく、その他の日常生活、例えば掃除や、皿洗いなど家の手伝いも免除されてはいません。それだけでなく、毎朝5時に起き、車椅子で新聞配達のアルバイトをやってお小遣いを稼いでいます。家族や両親は、他の兄弟と変わりなく接しています。このソバカスだらけの赤毛の少年の夢は、将来飛行機のパイロットになることなのです。彼は、両足を失ってからも飛行機を操縦している、あるパイロットと知り合いになって情報を得ています。
このように、ケイシー・マッカリスターとその家族は、このように大きな試練の前にも、決して挫折しませんでした。彼らは挫折の代わりに希望を選び、足の代わりに父なる神を選びました。彼らの肯定的な姿勢と信仰は、更なる不幸から彼らを守る防波堤の役割をはたしました。
「希望は失望に終ることはない。」(ローマ5章5節)