ある韓国の牧師が高校生だった時のお話です。
 韓国では、今でも受験は、その人の一生を決めるような一大イベントです。親も教育熱心で、自分の子供たちに対して英才教育をほどこします。この先生の高校生時代も、その学歴社会の中において、大学入試は非常に重要な事柄でした。クリスチャンの親でも、自分の子供が受験生であれば、日曜礼拝に行ったり、教会の学生会の委員になることを嫌がりました。委員を選ぶ日には、学生たちは教会に来なかったそうです。しかし、当時、学生であったその牧師と、友人たちは、神さまの働きを行ないながら熱心に勉強するなら、神が良い結果を与えてくださると信じ、委員になる決心をしました。一年間、熱心に教会に仕えながら勉強しましたが、大学入試の結果、彼らは全員、志願した学科に合格できませんでした。名門大学の経営学科を志望した友人は中国語学科に、英文学科を志望した友人たちは、それぞれロシア語学科とベトナム語学科に行きました。その当時、中国・ロシア・ベトナムは韓国とは全く交流のなかった国で、その国の言葉も必要のない時代でした。彼らは失敗者とみなされました。その学生たちは、そのような結果に頭を垂れるしかありませんでした。しかし、彼らが大学を卒業する頃、驚くべきことが起こりました。ソ連が崩壊し、中国は門戸を開放し、ベトナムとの貿易が始まったのです。文字通り世界が変わったのです。すると、企業は、その国の言葉を話せる人々が必要となり、大企業が彼らを大歓迎したそうです。
 私たちは、今の状況を見て、それが失敗かどうかをむやみに判断してはならないでしょう。「今」の時点では、それが本当に失敗なのかはわからないからです。神さまをないがしろにして名門大学に入ることが成功なのでしょうか? 人間的には、失敗とは言えないかもしれませんが、神さまの言葉に従うことこそが、真の成功だと思います。
 
 私たちは「点」でモノを見て判断しますが、神様は「線」の中で私たちを導いてくださっています。私たちは、恵みの線上にいるのです!