私たちに起こる出来事の中に偶然はありません。すべては神の主権的な摂理のもとにあります。そして、神はその中で私たちを見ておられます。私たちに降りかかる困難な状況は、私たちが神を知ることによって強くなってほしいと願われる神の御手によるものです。神は、私たちがその状況を乗り越えることを願っておられるのです。
 私たちを苦しめる人々がいたとしても、神は彼らを通して私たちを訓練されます。私たちが「あの人さえいなければ怒らないのに」と言うとき、神は「その人をわたしからの使いだと思いなさい。彼を通してあなたの人格のどの部分に訓練が必要かがわかるだろう。あなたがわたしを知ることによって、その状況を通してわたしの品性があなたのうちに現れることを願っている」と言われます。
時に、私たちは、火の燃える炉に入って行くような経験をすることがあります。あまりにも火が強くて、すぐにでも溶けてしまうかのように思えるほどの試練です。訓練を受けるのをやめたいという思いも生じます。ただ怒りを発することで事を処理したいという思いまで生じます。そんなとき、神が見ておられます。「わたしはあなたを練ろうとしている。まず、わたしのことを知りなさい。わたしを知って強くなりなさい」と言われるのです。神を知るとき、人は強くなります。私たちへの神の考えは驚くばかりです。私たちに問題があるとしても、すべての問題の解決者であられる神が共におられます。そんな神に自分自身をささげるとき、みわざが始まるのです。
                              (「神の品性にあずかる人」ホン・ソンゴン師著より)

 私たちがこの世で生きる限り、必ずといっていいほど「この人さえいなければ・・・」と思ってしまう人物が登場します。でも聖書を土台にして生きるなら受け止め方が変わってくるでしょう。このようなメールを送ってくださった方がいます。「聖書のお話を聴いていなかったら、気が狂っていたかも? 物事に関する判断、自分の”ものさし”が変ってきました。やはり、聖書は、正しい判断基準と確信しています。」