大和カルバリーチャペル・青年クリスチャンのお証しをご紹介します。

 昨日、報道で、フィギアスケートの高橋大輔君が大切な人ですと、クリスマスアイスショーの後の打ち上げで女性を紹介したって。わぁ。想像してみた。もし、私がその女性だったら・・・。コンプレックス、劣等感の塊のわたしだったら、高橋君とは釣り合わないって、落ち込むか、焦るか、どうにかこうにか背伸びして、努力するか・・・でも、もし、高橋君が私のことめっちゃ好きって言ってくれたら。。。そのままで、好きって言ってくれたら。。。わがままな所も欠点も含めて、好きでそのままがいいっていってくれたら。まるで、お姫様のように大切に扱ってくれたら。私は、もしかしたら、そんな晴れがましい席に出ても堂々としていられるかもしれない。いや、とってもいい意味で、高橋君がそのままでいいっていうけれど、少しでも、大切な人らしくいたいって思う。相手の価値によって、自分の価値を引き上げてもらうというか。。。何ができるから好きとか、こうだから好きっていうんじゃない。そのままが好きっていうか。好きになってもらうための努力がいらないっていうか。何も頑張らなくていいっていうか。それが、もしかしたら、基本的な安心なのかも。それがなければ、いつまでも、いつまでも、不安なのかも。
神様はそれを教えて下さってるのかも。こんな私でも?こんな私でも?っていう自分を見せられる。その度、あぁって。やっぱダメなんだって。こんな私は、やっぱり、神様はお嫌いになるって。でも、いっつも違うんだ。あれ?って思うんだ。ほんと?って思うんだ。こんな私でも愛されてるってことを、いつも教えていてくださる。自分で自分を愛せないような私を、愛して下さっている。そう、あんなに最低な時も。
 神様が今年も、どんなにか晴れがましい席に私を誘ってくれるかもしれない。そんなとき、神様に愛されている大切な人として堂々としていたい。基本的な安心をもって、焦らず比べず、感謝したい。どんな欠点も、気にならなくなる。だって、その欠点すら愛されているのだから。