アメリカに住んでいた友人の話です。夜中にテレビをつけると、フットボールの試合がテレビで生中継されていました。彼は夜中に一人でそれを観ていたのですが、応援しているチームは前半、大差で負けていました。もう勝ち目がない試合でしたが、なんと後半ギリギリで、歴史的な逆転勝利をおさめたのです。彼は興奮しながら、明け方、床に就きました。朝に目覚めてリビングへ降りて行くと、自分の両親、兄弟たちが、自分が夜中に生中継で観ていたフットボールの試合の再放送を観ていました。試合は、丁度、前半の大差で例のチームが負けている時でした。そこで彼は家族にこういいました。「10ドル賭けようか? 僕は今負けているチームが勝つと思うよ」すると家族は「こりゃ~もう無理でしょう・・・でも、そこまで言うなら賭けよう」と言って、彼以外の家族は全員、今リードしているチームに賭けました。しかし、友人は、自分のチームがどれだけ点を取られても、全く焦らないし、心配もしませんでした。どうしてでしょうか? それは、応援しているチームがすでに勝利することを知っていたからです。

 クリスチャンライフとは、まさにこのようなものです。「わたしは、たぶん勝利できるでしょう・・・」と未来形で言われたのではなく、「わたしは既に世に勝っている!」と、完了形で言われたお方に信仰の賭けをしているようなものなのです。目に見えるところに生きるならば、不足が出ると不安になります。問題が発生すると、焦ります。あるべきものがなくなると落ち込みます。しかし、既に世に勝っていると言われたお方がご一緒ならば、現実がどうであろうと、世に負けることはないのです。ですから信仰に生きる人の心の起伏は穏やかな傾向にあります。
 
 私たちはキリスト教会の右から左まで理解しつつバランスを大切にする福音派に属する教会です。極端と思える中にも神の働きはあることをわきまえながらも、常識を外れたり狂信的になり人々をつまずかせるほど偏ることはしません。しかし、既に勝者である神さまに賭ける生き方だけは貫いていきたいと願っています。