1989年12月上旬のある朝、私はサラリーマンとして東京の新宿で働いていました。当時、神奈川県の海老名というところに住んでいて、小田急線の海老名駅から新宿行きの急行に、その日の朝も乗っていました。その電車は、毎朝のことですが、新宿に着くまでの1時間、全く体制を変えることができないような超満員でした。そんな満員電車の中での、私の唯一の楽しみは、ウォークマンで牧師のメッセージを聴くということでした。その日、テープはルカによる福音書8章から「向こう岸へ渡ろう」という内容のメッセージが流れていました。私は、いつか牧師になりたいと願っていましたが、結婚もしていましたし、今、会社を辞めるわけにもいかない状況がありました。来年には子供も与えられるし、経済的にも、今は無理だと思っていたのです。しかし、流れてくるメッセージの内容に心揺すぶられました。「どんなに嵐がきて、水が舟の中に入ってきても、弟子たちの乗った舟は絶対に沈没しない理由があります。それは、イエス様が『向こう岸へ渡ろう』と言われたから、この舟は、途中でどんなことが起こっても、向こう岸へ行くことができるのです。そしてもう一つの沈没しない理由・・・それは、同じ舟にイエス様が乗っておられるからです。」このメッセージを聞いたときに、「自分は、経済の荒波や、生活に暴風雨が吹いて、沈没してしまうと思っているけれど、主が促されておられるのならば、また主が同じ舟に乗っておられるのならば、絶対に沈むことはない」という確信が与えられ献身を決意したのです。
 私は自分自身の内側にある思いも含めて、常識とか、環境とか、状況という現実の声に耳を傾けて、岸を離れることができませんでした。しかし、主からの「向こう岸へ渡ろう」という声に、従った時に与えられた恵みは、数えることができないほどです。私の舟は沈むことはありませんでした。そして、今もその時と同じ信仰によって関西で開拓伝道しています。毎日が奇跡の連続です。確かに主が同じ舟に乗っておられることを実感しながら毎日を過ごしています。ハレルヤ主よ感謝します!