私は留学時代に、キャンパス内で芝刈りなどをする部署でアルバイトをしていました。一年に一度、それぞれのアルバイト生に対する評価を、その部署のボスが大学に提出することになっていました。ある日、私のボスが私を呼んで、その評価表を大学へ持っていって欲しいと言いました。私が事務所へ行くと、まだ採点をしているところだったので、その場から離れようとすると、机の前にあるイスに座れというので、そのイスに座って採点する様子を見ていました。一人の生徒につき、仕事ぶりの項目が10ぐらいあったのですが、ボスは、ほとんどに平均的、もしくは努力が必要というところにチェックを入れていました。私は「評価が厳しいな・・・」と内心思っていましたが、そうこうしている内に、私の名前の書いてある評価シートが机の上に置かれました。私は、リースがどんな評価をしてくれるのか、興味津々でした。みんなと同じ「平均的」がほとんどだろうと予想していましが、採点している様子を見て、私は目を疑いました。誰に対しても「平均的」が最高評価だったのに、なんと私の評価には、最高のエクセレント(大変良い)の所にチェックを付け始めたではないですか。ほぼオール5状態でした。そしてコメントの欄には「この学生の仕事ぶりは、模範的で、よく働き、周りの学生に良い影響を与えています」と書いてくれたのです。たとえ、私が見ているからといっても、過剰な評価でした。
 今から考えると、小さな島国の日本からアメリカに渡って、苦労している私を、えこひいきするかのようにして、様々な心遣いをしていただいたのですが、あれは愛情評価だったのだと気付きました。私は、そのような身に余る光栄な評価をしていただいて、言うまでもなく、他の学生たち以上に、ボスの期待に応えていこうと努力するようになりました。
 
 どのような人でも、もし本当の愛に触れたら、強いられてではなく、本心からその愛に応えるような生き方がしたいと願い始めるものです。
世の中には条件付きで気まぐれな愛が満ちています。どこに行けば裏切らない愛があるのでしょうか? それはイエスさまから溢れています。