私が大和カルバリーチャペルでご奉仕していた時期にお祈りしていた一青年のプログからです。
タイトルは、「愛する人を探す人」  

「地震が起こって、私が死んでも心配しないでね。天国にいるから。」
親しい友にこう言ってきた。すると、友が、「探しに行く。」と言った。
私は、瓦礫の中で、わたしを必死に探す友の姿を思い浮かべたら、心が締め付けられるようにくるしくなった。

先日見たテレビが忘れられない。妻を探すために潜水士になった人のことを。その方は、3.11の地震の時に、愛する妻を津波で失った。数日後に、瓦礫の山から見つかった妻の携帯に、届かなかった最後のメッセージが残っていた。「帰りたい。」彼は胸が張り裂けるようだった。「自分の手で妻を家に連れて帰る」そうして、彼は潜水士の国家資格を取得した。3年近く行方不明である妻を海の中から見つけるために。 「冷たい海の底に沈んだままでいるのはとてもかわいそうだ。私にメールで『帰りたい』と言っていたので私の手で妻を探し必ず家に連れて帰りたい」と話した。

彼はどんな思いで、海の底を探しているだろう。冷たい海の中を。行けども、行けども、気が遠くなるほど広い海。必ず妻を連れて帰るという決心。被災地の海には、今もなお、津波がのみこんだ遺留品が多く沈んでいる。彼は、それらを、一つ一つ丁寧に拾っている。

イエス様は、どんな思いで、罪の海に飛び込まれただろう。冷たく汚れた海。失われた魂を探すために。命をかけて。私を、あなたを探すために。
「人の子(イエスキリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:10