私はアメリカ留学時代に、東部に位置するジョージア州から西部のユタ州まで、車で横断したことがあります。友人が引越しをすることになり、食事代や宿泊費、帰りの飛行機のチケット代は全部払うので、彼の車の一台を運転してほしいと要請してきたのです。私は即、引き受けました。春休みを利用しての引越し計画で、彼の車にはお手製のトレーラーを連結して家財道具を隙間がない程に詰め、私が運転する車の中には、何故か鉢植えや、トレーラーに積み残した物が、後ろの席や助手席に所狭しと積み込まれていました。こうやって5日間5千キロの旅が始まったのです。毎日の風景が変わっていくことが新鮮でした。スタート地点は山や川のある日本のような地域でしたが、2日目あたりから徐々に山がなくなり、360度見渡しても緑の平原地帯が続くばかりになりました。更に西へ進み3日目には標高が高くなり、緑がなくなり、赤い岩や風化した岩山などが出現し始め、大陸の大きさを物語っていました。楽しいドライブになるはずでしたが、この旅の途中で思いがけないハプニングに遭遇したのです。一つはトレーラーのタイヤがパンクしたことと、もう一つは、凍結している道路で、前を走っていた友人の車が横滑りをはじめて中央分離帯の雪の中へ突っ込んでいったのです。友人は旅の途中から意気消沈して、酷く落ち込んでいましたが、何とか励ましあいながら目的地に到着することができました。帰りに友人が私にアルバイト代だと言って、飛行機代以外のお金を渡してきたのです。私はいただくつもりはなかったので断りましたが、彼は私にこう言いました。「君には、それを受け取る価値があるんだよ。運転だけではなく、一緒にいてくれて心強かった。だから受け取ってほしい。」私は、アメリカ人の中ではいつもお世話になるだけで、彼らのためになる存在ではないと、ずっと思っていましたが、この言葉に感動しました。

 神様は、私達に何ができるとかできないとか関係なく、その存在を愛して受け止めてくださっているのです。いるだけで価値があるのです。「あなたは私の目には高価で尊い。私はあなたを愛している」(聖書)