昔の人たちは、「天動説」を唱えていました。それは、この地が動いているのではなく、天や空が動いているという考え方です。ですから、月や星、太陽のある天が東から西へ移動していると考えられていました。天動説は、人間の側が中心になっている物の見方です。それに対する「地動説」は、天が動いているのではなく、文字通り地面(地球)が動いているのだという考え方です。これは、人間側が中心になっていたら、なかなか出てこない発想です。かつて地球は平面だと考えていた時代に、地球が丸いなんてことを言う人がいたら馬鹿にされていたことでしょう。 
 私たちは、自分の今立っている場所から見える今の現実を見て、それを描写します。しかし、そこからちょっと離れて客観的に見たら、違う景色が広がっているということも言えるでしょう。私の体験から言うならば、神の側に立って現実を見たら、結構解決することが多くなります。

 キリスト教用語に、「悔い改める」という言葉がありますが、これは「思いを変える」という意味であって、今まで自分が中心だった考え方から、神の側に立った思いを持つということなのです。世の中は、相手の立場に立って言動するならば、円滑に物事が進むようになっていますが、それ以上に、神の側に立って生きると人生は最善に導かれていくのです。

 バッハは歴史的に有名な作曲家であり、優れたオルガン奏者でした。彼は、100曲以上の教会音楽も作曲しました。彼が生きていた時代を「教会音楽の時代」と呼ばれるほど、彼は宗教改革が生んだ音楽界の最高峰でした。バッハは、「音楽の唯一の目的は、神の栄光のために人間のたましいを目覚めさせることだ」と言いました。実は、バッハの楽譜には、すべて前の部分にはJ.J.(Jesus Juva「主よ助けてください」の意)を記し、最後の部分にはS.D.G.(Soli Deo Gloria「神さまだけに栄光を」の意)を書きました。時には最後に「あなたの御前にたちます」と書くこともありました。またこうも言いました。「神さまのピリオドをクエスチョンマークに変えてはならない。」神さまの側に立つならば、私たちの側の疑問符「?」は消えて、感嘆符「!」に変わるのです。