「アルコール依存性の詩」後藤光代著からの抜粋です。
 私は、お酒を憎んできました。お酒漬けの夫を憎んできました。お酒が憎いのか、夫が憎いのか、そのどちらも憎いのか自分でも分からないくらい、すさまじいエネルギーを流し続けてきました。「そのすさまじいエネルギーがあなたですよ。そのことに気付きなさい。」夫のアルコール依存症が、自分に自分が伝えるメッセージであったなどとは、おそらく、心を見るという学びに繋がらなければ、絶対に思いもしないことだったと、私は思っています。・・・今の私は、幸せなんです。自分のすさまじいエネルギーを周りにぶちまけてきた結果が、これまで自分自身が味わってきた苦しみ、悩み、憂いだったことを、私はほんの少し感じているからです。夫ではなかったし、子供でもなかったのです。やはり、彼や彼女たちは、私にとってはかけがえのない家族でした。アルコール依存症の夫が、酒を絶ってくれたなら、私は幸せになれる、万事うまくいく、そう思い込んで、そのために東奔西走してきた自分でした。精一杯生きてきたと自画自賛してきたけれど、結局、私は、一番大切なことを見落として頑張ってきたのです。自分が頑張ることが、さらに新たな苦しみを生んでいくとは、私には、なかなか分かりませんでした。今は、「そんな私もみんな受け入れたよ」って、自分に言ってやれる余裕が出てきています。夫の心の叫び、そして、自分の心の叫びを真正面から聞く優しさに欠けてきた自分でした。ただ、酒が好きなだけ、そう夫に言わせるその心の底をくみ取る優しさに欠けていたのでした。自分がまず幸せだったと気付くこと、何がなくても、もう自分はすでに幸せだったことに気付くこと、これでした。幸せになろうではなく、幸せにしてくださいではなく、私は幸せな存在でしたと、ほんの少しでも心で感じられて、そして、私の人生の幕引きができれば最高だと思っています。人って優しいなあ、私って優しいなあ、チラリとでも本当にそのように思える日が来るのを楽しみに、日々を過ごしてまいります。
 
 「いつも喜べ。絶えず祈れ。すべての事に感謝せよ。」(Ⅰテサロニケ5章)