比較を常にしてしまいがちの人は、劣等感の塊、または優越感の塊になりがちです。私と全く同じ人間は、世界広し、宇宙広しといえども、二人とおりません。オーストリア出身の宗教哲学者、マルチン・ブーバーは、「この世に新しく生まれいずる赤ん坊は、それまで誰も持っていなかった新しいもの、独自なものを持って生まれて来る。その人の生まれる前に同じ人は一人もいなかった。その人が死んだ後、同じ人は一人としてこの世に現れることはない。もしあったとしたら、その人は生まれて来る必要はなかったのだ。その人は、自分が唯一の、独自な人間であることを知る義務がある」ということをいっています。たとえ自分がどんなに惨めになっても、人と比べて「どうして私はこんな馬鹿なことをしたのだろう。こんな取り返しのつかないことをしてしまったのだから、もう死ぬよりほかはない」と思ったりしないようにしましょう。確かにそういう時もあります。私も自己嫌悪に陥って、「私なんかこの世の中に生きていていいのだろうか」とシスターになってからも思ったことがあります。その時は、マルチン・ブーバーの「人にはその人にしか果たせない使命がある、その人しか与えることができない愛がある」という言葉を自分に言い聞かせて、どんなに辛い時でも、自分で自分のいのちを断つ、または劣等感の塊になって自らをさいなむようなことはやめようと思いました。
(渡辺和子著「それぞれが“たった一つの花”として咲く」より抜粋)
ヒマワリは、どんなに頑張ってもアサガオにはなれません。アサガオもヒマワリにはなれません。私たちは他者と比較して悩むことが多いのですが、神さまは、私たち一人一人に与えられた独自性を、精一杯咲かせることで、その使命を全うすることができるように造られました。
毎週訪問させていただいている難病と戦う86歳の隅谷光さんの言葉が輝いていました。「残りの生涯、聖書を通読していこうと思います。それが今、私が生かされている使命だと思っています。」アーメン!!!