私たちの神学校では、説教者と牧会者コースがあります。そのカリキュラムは、さまざまな科目によって構成されていて、その中には学生達が嫌うギリシャ語、ヘブル後、組織神学などがあります。科目自体も難しいのに、教授まで厳しいとさらに嫌になってしまいます。たとえば、ある組織神学の教授は非常に厳しいので「組織のボス」というあだ名をつけられました。実際、これらの科目の勉強は簡単ではありません。とても苦しい時間を経なければなりません。しかし、学生たちはその事実を知った上で受講しているので、なぜそのような科目があるのかと不平を言ったりはしません。むしろ、その大変な科目がなければ、まともな説教者や牧会者になることができないことを知っているため、自ら志願し、喜んでその訓練を受けているのです。
神は、私たちをイエスに似た者へと変えようとされます。それが主の関心事なのです。神は私たちの幸せよりも聖さに関心を持っておられます。ですから、時には苦しみや問題の中に私たちを置かれたりもするのです。今日、クリスチャンがちょっとした苦しみに会っただけで簡単に喜びを失ってしまうのは、このカリキュラムを理解できないからです。イエスを信じるということは、十字架を負って歩まれた主の後に従って行くという意味です。その過程には苦しみもあり、難しさもあります。それが神のカリキュラムです。何をするにしても、どんな状況でも、神の観点から物事を見るようにしましょう。
イ・ジェギ牧師著「天の光・喜び」より抜粋。
先週のメッセージをインターネットで聴いた方から、「今は、本当に時間がなくて、忙しく息を休める暇もないほど、通常では対処できないことまで対応してきたことは、この神さまのカリキュラムがあって今の知識や技術や能力が磨かれ、今の自分を作り上げて完成へと向かっていることを知り、苦しいほど感謝が溢れ出しそうな気持ちとパワーをもらいました・・・」とメールをいただき私も力をいただきました。栄光在主!