神の存在を否定すれば、人間の尊さの根拠はなくなってしまいます。進化論を教える日本の現代社会でも「命は地球よりより重い」と唱えています。しかし、神を否定しながら「命は地球より重い」ことの客観的な根拠を提示できるのでしょうか? 地球上にあった物質から偶然に進化してきただけの生き物が、「自分は尊い」などと宣言はできないでしょう。それは人間社会でいい慣わしてきた通念か、人間の単なる願いであり、根拠もなくそう思っているだけの共同幻想だと言えます。

以前に私の友人牧師が語っていた内容です・・・人間は「直立歩行する」「知能が発達している」「言語をもつ」「道具を使う」から尊いなどとはいえません。それは人間が自己尊厳を正当化するために考え出したことにすぎません。それは白人が「我々は背が高く、色が白く、文化が進んでいるから尊い」と優越意識を持ち、有色人種を蔑んできたのと同じです。それが許されるなら、チーターは「早く走れるから」、ハヤブサは「空を早く飛べるから」尊いと、勝手に主張することができます。誰が、命は尊いと決めたのですか? 人間です。人間は何を根拠に命は尊いと決めたのですか? それはただ、死ぬのが怖いからです。自分自身のかわいい命を守るために、命は尊くあらねばならないのです。とにかく命は尊いものであってほしいのです。それ以上の根拠はありません。学校教育でいくら人間の命は尊いと教えても、人間が物質から化学進化し単細胞生物から進化を遂げた存在であるかぎり、白々しいだけです・・・

そう考えると、私たちの存在価値を示すことができるのは、「神」という存在があってからこそなのです。創造者である「神」が、人間を尊いものとして造り、尊いと思い、尊く扱ってくださるからこそ、人間は尊いのです。創造者であり絶対者である「他者」に尊いと宣告されていること、これ以外に、人間が尊いとされる絶対的な根拠はありません。
先日、生産性も記憶力も乏しく、人から介護されなければならない、世から見れば価値なしと言われるような施設のご高齢の方々に「あなたは高価で尊い存在です!」(イザヤ43章)と確信をもって語ってきました。