ペテロがイエスさまに、「あなたはこれからは、行きたくない所へ連れていかれるようになるだろう。」そうするとペテロは、自分のライバルである他の弟子を指して言いました。「主よ、この人はどうなのですか?」それに対するイエスさまの答えは、「たとえわたしが彼にずっと生き残ることを望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」でした。

ある家族が、田舎に小さな家を建てて幸せに住んでいました。何年かしてから他の家族が隣の土地を買って、大きな家を建てました。それまで何の問題もなかったのですが、隣の家を見て奥さんはご主人に言いました。「お隣の家は大きくて立派な家を建てたね・・・うちは小さくない?」「小さな家でいいからと、同意してここに引っ越してきたんじゃなかったか? 今更何を言ってるんだ?!」と喧嘩になりました。子供は隣に引っ越してきた子が新しい自転車に乗っているのを見てお母さんに言いました。「どうして僕はずっと古い自転車に乗らなきゃいけないの? 新しいの買ってよ!」お母さんは言います。「お隣の子は、勉強よくするし成績がいいでしょ!」・・・今まで何も愚痴も不満もなく幸せだったのに、比べ始めてから家族の中に不和が生じたという話です。

人は、他者との比較に生きています。そうすることによって優越感を抱いたり、劣等感を持ったりしながら一喜一憂することになります。しかし聖書は、神が与える人生の舞台での役割は、みんな違っていて、それぞれに必要な場所に配置されていて、あなたでしかなれない配役が与えられているというのです。あなたはあなたに与えられた個性と摂理を大切にしながら、今のあなたを精一杯生きるのです。それはワガママになるということではありません。神さまが他者に与えられた賜物は、認めつつ調和していくのです。一年にも春夏秋冬があるように、一人一人にも人生の四季があるでしょう。それぞれの季節を楽しんで過ごしていきたいものですね。その季節でなければ発見できない神さまの恵みがあるはずです。「わたしの恵みはあなたに対して十分である」(Ⅱコリント12:9)