私たちの教会メンバーの今澤麗子さんが、6月10日早朝天に召されました。享年80歳でした。先日、私が葬儀の司式を執り行いました。  
 不思議な神さまの導きにより、約2年前に病院でお会いしました。麗子さんは仏教徒でしたが、何故か自分の娘さんをミッション系のノートルダム清心学園付属の幼稚園・小学校へ通わせたそうです。理事長でありシスターである渡辺和子さんのことをよくご存知で、尊敬しておられるということで、私も書いておられる本を何冊も読み講演も聴いたことがあるので、共通した話題から話しが弾みました。それから定期的にお見舞いに行くようになり、かなり心は開かれるようになったのですが、今までの仏教の様々なしがらみがあって、クリスチャンになるまでは無理といった様子でした。しかし、長い話を短くすると、去年の12月に明確にイエスさまを信じ受け入れて病床で洗礼を受けられました。受洗してからの麗子さんは、明らかに変化がありました。私がお見舞いに行く度に様々な不平不満や痛みを訴えておられたのですが、イエスさまを信じてから感謝を口にするようになり、痛みのことを言われなくなったのです。私が牧師としてそのようなご指導をさせていただいたわけではありません。ただ信じただけなのですが、変わっていかれたのです。これは内に働かれる聖霊さまによって浄化されていたのだと確信します。

 渡辺和子さんの著書の中から良い文章をお分ちします・・・「いつまでもあると思うな親と金」といいますが、失ってしまう前に、当たり前の価値に気付いてほしいのです。今、有るものは有り難い、有ることの難しいものだと気付いてほしいのです。そうすると人間幸せになります。幸せとは、良いものに囲まれている時に存在するからです。そして幸せは、客観的に何があるか、どういう状況にあるかだけでなくて、それを有り難いと見るかどうかにかかっています。当たり前でなくて、有り難いものだと気付けば、幸せの度合いは高まります。

 「卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい」(聖書)