先週は「愛の安定供給」というタイトルでメッセージさせていただきました。我ながら良いタイトルをつけたものだと自画自賛していました。   
 「愛」という言葉は、日本語では、一つしかありません。ところが新約聖書が書かれたギリシャ語では、それぞれの場面によって、「愛」という言葉の使い分けしているのを発見しました。実はギリシャ語には、複数の日本語では「愛」と訳される言葉が存在するのです。基本的には、エロース(男女の愛)、フィリア(隣人愛・友情)、ストルゲー(家族愛)、アガペー(真の愛・無償の愛)の4つあります。最後のアガペー以外の愛は、ギブ・アンド・テイク(条件付き)であります。すなわち、「良い子だったら愛する」とか、「自分を満足させてくれるから愛する」という関係です。いずれも自分にとって都合の良い相手は、大切にして愛するけれど、そうでなければ、愛は保証されていないのです。このような「愛」は、不安定で、いつも相手の顔色を見ながら、愛される努力をしなければならないのです。
 アガペーの「愛」は、私たちが何度裏切ろうと、無礼をしても、無視しても、変わらずに流し続けられる愛を表しています。そんなことがありえるのでしょうか? 旧約聖書を読むと、イスラエルの民は、神に導かれて最善の道が開かれたにもかかわらず、何度も神を裏切り、失敗しました。もう呆れられてもおかしくはない彼らを、失敗する度に次の新しい方法で彼らを救おうとなさっている歴史を見ることができます。また新約聖書には、弟子たちがイエスの期待を裏切るような言動を何度も行ないました。そして最後にはイエスを見捨てて逃げ去ってしまう弟子たちを、最後まで愛し通されたという記録が記されています。
このように聖書全体を通して、神がアガペーの愛(無償・無条件の愛)で人間を愛してくださっていることを発見することができるのです。私たち人間は、神のやり方に委ねることができないで、自分のやり方で人生を切り開いて行こうとするところに、様々な歪みが生じてくるのです。
 
アガペーの愛は安定しています。人はこの中で安息できるのです。