とても寒いある冬の日に、ある若い死刑囚が死刑台に立ちました。その周りには4人の執行官が刑執行時間を知らせる鐘の音を待っていました。しかし、時間が過ぎても鐘の音が聞こえてこないので、一人が確認のために鐘塔(しょうとう)へと向かいました。そこには一人の女性が鐘をつかんだまま死んでいました。その女性は死刑囚の姉でした。
この女性は、毎日死刑囚である弟のもとへ行って、死ぬ前にイエス・キリストを信じて悔い改めて救われるように勧めましたが、弟は全く悔い改めませんでした。彼女は刑が執行される前日、鐘のところへ行って「神さま、私の弟が悔い改めるまではこの鐘がなりませんように」と祈り続けました。厳しい冬の寒さの中で何時間もそうしているうちに、彼女はその場で凍え死んでしまったのです。鐘をつかんだまま完全に凍りついてしまった彼女のからだのせいで、鐘が鳴らなかったのです。この事実が知らされると、姉の愛に感服した裁判官は刑執行を取りやめ、死刑囚だった弟は悔い改めてイエスを受け入れ、新しい人生を歩んだそうです。
イエスがむち打たれ、茨の冠をかぶり、十字架につけられたのは、死んで当然である私たちを生かすためでした。私たちはイエスの犠牲によって刑執行を取りやめてもらった者たちなのです。さばかれるべき私たちが地獄の刑罰から赦免され、天国の民として生きていく祝福を与えられたのですから、どれほど感謝なことでしょう。
「十字架の福音」イ・ジョンギュ著より抜粋
イエス・キリストが十字架にかかられたことは歴史的事実です。そしてそれは私たちの罪の身代わりでした。この事実を知らないまま何も感じないで人生を終えないで欲しいのです。私たちは皆、神の家族、キリストに属する者です。ただ戻るべき場所を見失っている迷える子羊なのです。失われた人々を家に連れ戻すために神なるお方が肉体をとって地上に来てくださいました。本来いるべき場所に帰ると安心ですよ!