ある父親が、思春期の息子さんのことで大変苦労していました。彼は
野球のコーチをしていたのですが、そのチームの中に、母子家庭で育ち、学校では色々な問題を起こしている一人の少年がいました。このコーチは、練習や試合の後に、自分の息子と一緒に、その少年を家に連れ帰って、食事を出したり、宿題を手伝ってあげたりして、ある時は家庭教師として、ある時には、父親のような存在として、その少年と関わっていきました。そうする内に、徐々に自分の息子さんとの関係が良くなり、絆が深まり、以前とは全く違って、親子関係が改善されていったそうです。後日、この父親は、「あの少年の必要を満たしてあげることによって、神さまは私自身の必要を満たしてくださいました!」と告白されました。
 私たちは、こう考えます。「この問題が片付いたら他者を助けよう。」
「もう少し収入が増えたら、与えるものになろう。」「子どもが成長したら、他の子の世話をしてあげよう。」私たちは、まず自分が満たされることを望み、そうしなければ他者を助けることはできないと思い込んでいますが、不思議にも神さまは、私たちに自分の問題を解決する力がないにも関わらず、他者の問題を解決する力は与えてくださっているのです。
 ヨエル・オースティン牧師は、こうメッセージしておられました。「困難の中にいる時に、落胆するのではなく、誰か困っている人を助けてあげるのです! 神さまに問題を解決してほしいのならば、あなたがまず誰かの問題を解決してあげるのです。もし、誰かの一日を救うなら、神さまがあなたの一日を救ってくださいます!」
 聖書が教える祝福の原則は、「まず受けよ!」ではなく、「与えよ!」なのです。そうすれば、自分にも与えられるというのです。どのようにして与えられるかは次の通りです。「人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量る量りで、自分にも量りかえされるであろうから」(ルカ6:38) 
 実践してみましょう。 必ず神さまが助けてくださるでしょう!