私の次女が高校1年生のとき、受験のストレスでとても苦しんでいました。車で学校へ送っていく途中、娘が車の中で激しく泣き出しました。私は娘のために祈りました。「神様、私の娘が、主がともにおられることを知ることができますように。」切に祈り終えた後、今度は娘がこのように言って泣きました。「お父さん、お父さんはイエス様が本当に心におられるのが信じられるの? 私は信じられない!」私は娘を抱きしめて祈ってあげることしかできませんでした。信じられないと言っているのに、私に何ができるでしょうか。
それから2年ほどが経ったある日、学校に送っていく途中の車の中で、娘が突然こう言いました。「お父さん、私、お父さんがいなかったら神様を信じることができなかったと思う。」その間、インターネットでキリスト教に対する批判的な記事を読んだそうですが、正直、その批判にも一理はあるかもしれないと思うことが多かったそうです。ですから、神はおられないのではないかと思いもしましたが、私の姿を見ると、本当にイエスが心におられるように見えたそうです。学校に着いて車から降りた娘が言いました。「お父さん、もう信じられるよ。イエス様が私の心におられるのを確かに。どうもありがとう。」お父さんのおかげで信仰を守ることができたと、主に出会えたと言ってくれた娘の言葉が嬉しくて、今度は私が泣きました。
「あなたは私を愛しているか」ユ・ギソン著より抜粋

私たち関西カルバリーフェローシップは、開拓3年半の間に数々の奇跡を主が見せてくださいました。「恵みは朝ごとに新しい」とあるように、毎年同じはなく、新しい何かをしてくださいました。神様は2014年でしかない恵みの世界を用意しておられます。期待しましょう!
「あなたを見ているとイエス様が生きて働いておられるのが、よくわかりました。」と言わしめるような者へと成長したいと願わされています。「これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」(哀歌3章23節)