ある日、一人のクリスチャンが登山に行きました。しかし途中で滑って落ちてしまいました。不幸中の幸いにも崖っぷちに松の木が生えていて、その枝を掴むことができたので、断崖絶壁から落ちることからは免れました。松の木にぶら下がっている状態だったので、一人で崖の上に登ることは不可能です。そこでその男は叫びました。「誰か助けてください! 上に誰かいませんか?」叫んでいると声が聞こえてきました。
神「私がここにいるから心配するな!」
男「誰ですか?」
神「神である!」
男「おぉ、神よ、私を助けてくださったら、私は命をあなたに捧げます!」
神「では、あなたは松の枝を握っているその手を今、放しなさい!」
男「神さま、そんなことをしたら落ちて死んでしまいます・・・」
神「あなたの信仰の通りになるから、手を放してごらんなさい」
しばらくそこに沈黙がありました。そしてその男は上に向かって叫びました。「すいませんが、上に神さま以外の人はいませんか?」
これは笑い話ではありますが、核心部分を突いていると思います。自分の思い通りに事が進んでいる時には、満足できるのですが、想定外のことを差し出されたら、それをなかなか受け止めることができないのが私たちです。
神は、私たち人間を造られたときに、「神のために生きる」というプログラミングをされました。しかし自分のために生き始めた時に、誤作動が生じ、様々な問題が起こったのです。この世の中には、不条理やストレスで満ちています。それは誤作動したまま生き続けようとする人間の罪の結果です。自分のやり方で上手くいかなくなったら、是非、神さまのやり方に委ねてみてください。その第一歩は「祈る」ことです。
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(詩篇121:1・2)