ある青年が仕事の移動中に乗った電車での出来事を投稿していました。
僕の隣には、幼稚園くらいの女の子が、母親らしい若い女性と一緒に乗っていた。途中、駅で片腕のない女性が乗ってきて、僕たちの向かい側に座った。女の子が「お母さん、なんであの人は手がないの?」と、みんなに聞こえる声で言ったので、僕は一瞬ドキッとして、女性と親子から思わず目をそらした。が、母親らしき女性は慌てることなく、女の子に向かって言った。
母親「いろんな人がいるの。みんなが同じじゃないの。あなたにはおじいちゃんとおばあちゃんがいないでしょう?」
女の子「うん、みんなにはいるけど私にはおじいちゃんとかいないね」
母親「うん、いろんな人がいるけど、おじいちゃんやおばあちゃんがいないのは、あなたのせいじゃないでしょ?」
女の子「うん、違う。あ、友達の中に父さんいない子いるよ」
母親「そうで、でもそれはその子のせいじゃないよね? だからね、みんな同じじゃないの。みんなそれぞれ、持ってるものと、持ってないものがあるのよ。でもね、持ってないからといってその人は何も悪くないし、他の人と何も違わないのよ」
 腕のない女性を含めて、車内に乗り合わせていた人たちはみんな暖
かい目でその親子を見守っていた。思わず目をそらしてしまった自分
が恥ずかしくなった。

 マザーテレサは、願っている方向へ物事が進まない時、「私達は急い
でいても、神さまは急いでいらっしゃらないようですから・・・」ま
た経済的な必要に迫られたとき、「お金なら大丈夫です。神のご意志
なら集まります。集まらなかったら、主がお望みではなかったという
ことです」と言いました。神に委ねるなら「今」を満足して生きたい。