劇作家のウィリアム・シェイクスピアは、「人生は舞台だ。誰もが役者だ。おのおのが自分の役を演じきるのだ」と言いました。
私たちの人生が舞台であるならば、ある人は学生として、ある人はサラリーマンとして、ある人は親として、子どもとして、政治家として、医療関係者として、パートさんとして、植木屋さんとして、男として女として、それぞれの立場で輝いていることによって、神の栄光をあらわすことになるのです。そして舞台総監督は神さまです。そして一人一人が神の歴史の台本を創っているのです。演劇の中にも主役がいて脇役がいます。台本通りにやっていたとしても脇役が出過ぎた演技をすると、その舞台は台無しになるでしょう。また主役が目立っていなければ、それは良い劇とは言えません。たとえ通行人Aであっても、それを控えめに精一杯表現することによって、舞台が引き立つわけです。もし、脇役が、自分は主役になりたかったと言っても、監督があなたを通行人Aにされたわけで、それは必要ない役ではなく、舞台を盛り上げるためには、その役も必要であり重要な存在なのです。
同じように、私たちは、「どうして私は、あの人のようではなかったですか?」「あの人のようであったら、もっと人生楽しめたのに・・・」と言うならば、それは演劇の役に不満足である役者さんのように、舞台監督である神さまに文句を言っているようなものです。神さまが私たちにしかできない必要な「わたし」という存在を与えて、環境を与えたのですから、その中で全力で楽しみながら、喜びながら生きるのです。
マーリン・キャロザース先生の「賛美の力」という著書の中で、こう書いておられます。「わたしたちの人生というドラマの中で、サタンはその役割を演じる俳優であるかもしれません。しかし、神は依然として監督なのです」人生を楽しむためには、わたしたちの総監督が誰であるかを押さえておくことがポイントですね。サタンではなく神さまです!