先日、ハンディを背負いながら生活をしておられるクリスチャン夫婦のお証を読みました。とても考えさせられる内容でしたので、本人の許可を得て抜粋します。
私たち夫婦が結婚して、8年になります。残念ながら、子はまだ主から預かっておりません。結婚後3年で、妻が入院。ずっと大変な状況が続いていますから、もしかしたら子がいなかった方がよかったのかもしれません。妻は子をもうけることを、少しためらっていました。妻:「むっちゃん、いいの?」 私:「何が?」 妻:「生まれてくる赤ちゃん、障害者だよ。いいの?」 妻は自分が「知的障害者」であることを気にしていました。子に遺伝するのではないかと。しかし、「知的障害」が遺伝するなんて話、聞いたことがありません。それに妻は、子どもの頃の虐待による脳の損傷が、「知的障害」の原因である可能性が高いのですから。問題は、私の側です。「骨形成不全症」。遺伝子の病で、骨が極端に弱い病気。しかも私の場合、「優性遺伝型」ですから、私の子は必ず「骨形成不全症」になります。ただし、どれくらいの「症状」なのかは、生まれてこないと分かりません・・・ しかし私は即答しました。私:「いいに決まってるじゃないか」 妻:「どうして?」 私:「じゃあ聞くけど、みきちゃんは自分が障害者だから、不幸だって思ったことある?」 妻:「ううん、ない」 さすがは、我が妻! 即座に、キッパリ言い切ったところが、素晴らしい! 私:「じゃあ・・・そういうことだよ。子どもが障害者だと、育てるのが大変だと思ってるの? 親が子にしてやれることは、祈ること、ただそれだけだよ。親は神さまに祈ることしか、子には何一つしてやれないんだよ」 妻:「ふーん・・・」 障害者だから不幸だ・・・。そんなこと、誰が決めつけたのでしょうか?  
神が与えてくださった人生は、どんな状況でも幸せになれるのです。
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」(ヨハネ9章3節)