「人間がどう行動するかは神があらかじめ定めている」と言うことと、「人間には自由があり、各自の判断による行動に対して責任が生じる」という互いに矛盾する内容を、聖書は両方とも真実であることを前提にしています。しかし予定説や自由説を強調するそれぞれの学者たちによる論争が長い間あって、今なお決着はついていません。川端光生師が「スッキリわかるキリスト教」の中でその辺をバランスよく解説されている。
① この問題は神の領域に属する
人間の理性に不合理だからといって、神の権威がぐらつくわけでもありません。創造主は被造物の頭脳に収まるように、つまり人間の都合や理屈に合わせて存在しなければならない義務はないのです。人間の理解を超えたことは神秘として受け止める勇気も、時には必要です。
② 神の時空を越えた大権と人間の時空の中での自由
神は、時間と空間を越えた存在ですが、人間は、三次元の時空間に閉
じ込められた存在です。神はその三次元の世界の外側から、人間の過去・現在・未来の自由な営みを、同時にご覧になることができます。人間がその自由を使って何をしているかを見て、その自由を越えて個人の人生や人類の歴史に介入されるのではないかと思います。
③ 神の大権と人間の自由は相互補完的である
自分が自分の決断においてキリストの神を選んで自分の神としたと
いうだけにとどまるなら「人間中心の信仰」にすぎません。自分の存在の根拠づけや意味づけのための神を信じる信仰、自分に奉仕してくれる神を信じてやる信仰、いわば御利益信仰です。そんな信仰は、人間側の新たな体験や疑いや感情の変化や心の疲れなどによって揺らぎ続けます。その信仰が「神中心の信仰」に切り替えられないかぎり、キリスト信仰は確立しません。自分の自由意思で選んだが、神の大権によって自分は選ばれていたことを悟って初めて、キリスト信仰は成り立つのです。