「普通」とは? 私たちそれぞれ個人が考える範疇における状態や言動や常識などが「普通」とされている傾向にあると思います。それ以外の人を「おかしな人」と呼び、それが出来事であるなら「奇跡」とか「災い」と呼びます。ある学者が書物の中で興味深い内容を以下に記します。

先日、次のような相談を受けました。二十歳の大学生の娘に、母親が「30~40万円の振り袖をつくってあげる」と言ったところ、「そんなお金があるのなら、私は振り袖はいらないから、アメリカに留学する費用として、それを現金でください」と言ったのだそうです。「親として、普通に、常識的に育ててきたつもりなのに、どうして、あんな変わった娘になってしまったのだろう」ということでした。その母親の友人で、同じようなことを言う女性がいました。その人の大学4年生の息子は、「卒業したら、就職はしないで、世界の国々を旅したい。半年くらい、一人旅をしたり、どこかに住み込んで働いてみたり、そういうことをやりたい」と言ったのだそうです。その母親は、「普通に就職して、普通に働いて、普通に暮らしてほしいのに、どうしてこんな子になってしまったのだろう、どうしたらこの子を直すことができるのだろうか」と悩んでいたのです。私は、この二人の母親に同じ答えをしました。「不肖の娘や息子どころか、大変素晴らしい教育をしたと思います。素晴らしいお子さんに育てられましたね」と。私は、教育の専門家ではありませんが、多分、教育の本質というのは、「みんなと同じことをする子供にすること」ではなく、「自分でものを考え、その結果、自分で自分の行動や生活、生き方を組み立てていけるようにすること」であると思います・・・

私もこれには同感です。人に迷惑をかけるような行為は見逃してはなりませんが、人それぞれに与えられている個性や持ち味は、神さまからの賜物です。神さまの目から見れば、みな「普通」なのでしょうね。上手くブレンドされて世の中はバランスがとられているのです。