アッシジのフランチェスコ(1181~1226年)の「平和の祈り」。
主よ、わたしをあなたの平和をこの世にもたらす道具にしてください。
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
あぁ主よ、慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されることよりも愛することを求める、その心をお与えください。
なぜなら、人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見出し、赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
「置かれたところで咲きなさい」という渡辺和子さんの本のタイトルで、今や百万部売れるベストセラーになっている。しかし前向きに生きている人たちにとってこの言葉は、「現状に満足してしまい、向上心や、やる気をなくしてしまうように思う」と、受け取られるふしもある。でも著者の真意はそうではない。「置かれたところ」とは、「あなた」という変えられない個性を、いかに「咲かせるか」という、実は非常に積極的な言葉だと思うのです。「私は、私だから、つぼみのままでいい」というのではない。「咲け」というのです。フランチェスコの祈りは、究極の祈りでしょう。それこそ「咲く」ことなのかもしれません。