最近、複数の方々から、自分と神さまとの関係を優先するようになってから悩んでいたことや問題が自然と解決しましたという報告を聞きました。その方々は神さまとの会話(祈り・聖書を読み瞑想)の時間を工夫されて継続することによって、気づいたら問題が問題でなくなってしまったというのです。祈りの力を私も何度も体験しています。
ある教会で配布された「祈りの学校」という資料の一部を紹介します。

私たちは無力になった時、本気で祈り出します。その時は「神様は聞いて下さらない」、そう訴えるかもしれません。しかし、実際に神様はもう祈りに答えて下さっているのです。無力さの中で神様に心の戸を開いた時、神様は既にあなたの所に来ておられ良い業を始めています。祈りは答えられています。しかし、すぐにその答えを理解することができません。私たちはせっかちで、忍耐が足りないので誤解していることが多いのです。それをよそ目に静かに働きを進められる「イエスは彼らに答えて言われた、『わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう』(ヨハネ13章7節)。神様は、私たちがすぐに理解できない程多くの答えや恵の業を用意しておられるのです。ですから、祈る時に無力さを感じても、思い煩ってはいけません。ましてや無力さによって祈りが妨げられているなんてことはないのです。無力を通して、神様に目を向け、心の戸を開くことが出来るのです。

祈りは万民に与えられている救いの最終手段です。祈りは神さまとの会話です。難しく考えないで、思うことを申し上げてみてください。ヘンリー・ナウエンは、祈りに集中することができない難しさと葛藤を覚えながらこう祈りました。「どうか、わたしの心の傲慢さを、疲労を、いらだちを、不信仰なさすらいを、そのまま受け入れてください。あなたはわたしという人間を、余す所なくご存知です。」祈りは心の呼吸です。