神が置いてくださった所で咲きなさい。
仕方ないとあきらめないで咲くのです。
咲くということは、自分が幸せに生き、他人も幸せにすることです。
咲くというのは、周囲の人々に、あなたの笑顔が、私は幸せなのだ、ということを、示して生きることなのです。
神が私をここに置いてくださった、それは素晴らしいことであり、ありがたいことだと、あなたのすべてが、語っていることなのです。
置かれていた所で、精一杯咲くと、それがいつしか、花を美しくするのです。
神が置いてくださっている所で咲きなさい。
(ラインホルド・ニーバー)

 人生を悟りきった人は、「運命だから仕方ない」と諦めます。諦められない人は、「どうして?」と不平も漏らします。しかし神を知っている人は、「神がここに置いてくださった」と、神のご摂理に従い、それを喜ぶことができます。そして精一杯咲こうと努力するのです。そしてどのような花が咲くかは神に任せます。それが「委ねる」の意味です。
 
 先週の成人の日に京都で行われた新年聖会に出席しました。知人牧師の計らいで世界最大のプロテスタント教会、ヨイド純福音教会堂会長のリー・ヨンフン牧師とお話もできました。何よりも感動させられたことは、博士号を持っておられる頭の良い先生方が本気で、「神さまには不可能はない!」と信じておられ、祈ることを最優先しておられる姿だった。「ミーティングを長くしてもリバイバルは起こりません。教会は祈るところです!」と、新宿に15億円の8階建てのビルを会堂献金のアピールなしで購入することができたというお話しをされていた。それを聞きながら励まされました。「同じ神を信じる私たちにも不可能はない!」