先日、ある女性の4カラットのダイヤの指輪を見たんだ。いやぁすごかったなぁ。あのダイヤは5万ドルはするだろう。でも、指輪自体は金のシンプルなもので、大きなダイヤの内側に小さなダイヤがいくつか付いているだけだった。そして、そのダイヤは支えていたのは、5、6本の爪のような形をした台座だったんだ。「あー、あの台座はよっぽどしっかりしていないとダメだな。5万ドルを支えているんだから」と思ったんだ。台座はダイヤほど人の目を引かないけれど、それと同じぐらいの価値があるものなんだ。賢い宝石職人だったら、そんな高価な宝石を、弱くてもろい台座には決して取り付けたりはしないだろうからね。そんなことをしたら、ちょっとどこかにぶつけただけで、宝石が外れてなくなってしまうからね。台座の強さと品質に、宝石の安全性と持続性がかかっているんだ。人格は台座のようなものだと思う。神さまは私たちにすばらしい宝石を用意してくださっている。でも、人格というしっかりした土台なしには、それらの宝石、つまり神さまの約束は、何かにちょっとぶつかっただけで、外れてなくなってしまうだろう。聖霊の願いは、宝石をはめ込む前に私たちの内側に人格を築き上げることなんだ。その宝石は、結婚、影響力のある地位、ミニストリー、財政、あるいは家族かもしれないが、どれも人格が要求されるものだ。だからこそ、宝石をはめ込む前に、まずしっかりとした台座を作る必要があるんだよ。人格を築き上げなさい。赦すことを学び、勤勉で忠実な人になりなさい。すぐにぐらつくことなく、いつも忠実であり続けられるように努力し、責任を持つことを学び、自分の感情に左右されずに自分の確信に基づいて行動できるようになりなさい。「人格とは、一度責任を持ったことを、たとえやる気がなくなってしまっても、最後までやり通すことができる能力である」 (「道ばたの宝石」ウエイン・コディロ著より抜粋引用)
 神と人とに愛され、信頼されるためにも人格を磨きたいですね。