パク・ヨンソン先生が、著書の中で、「愛とは、相手がうまく行けば、自分自身はどうなっても嬉しいのです。自分のことはどうでもいいのです。・・・数年前、ある長老さんと一緒に信徒の家庭訪問に行ったとき、それを経験しました。イチゴが出されたのですが、その長老は、つぶれたものばかり食べるのです。私にいいものを食べさせるためにです。これが愛です。」と書いておられた。確かに私も少なからずそういうことを経験してきた。例えば、親は食事をするとき、見た目の悪いものや、つぶれたものなどを、進んで自分の皿に入れて食べている。これは子には、良い部分を食べさせるために自分が喜んで犠牲になっている姿だと思う。自分は貧乏くじを引いても、子供が喜んでいる姿を見て満足できるのが本当の親の愛の姿です。「親は、つぶれたイチゴや、形の崩れた魚、少し古くなった残り物のおかずが大好き」なんて思っている子供は、まだまだわかっていない子供でしょう。
愛とは、相手がうまくいくようにすることです。ある本に、「何でもうまくやる人間を雇わないように。その代わり、他の人がうまくできるよう手助けする人間を雇いなさい。」とあった。自分がうまくいくように考えている人は、他者の成功を喜ぶことができません。そればかりか嫉妬したり妬んだりするものです。夫婦の関係に、親子の関係に、職場、学舎、友人関係に、相手がうまくいくように歩み始めたら、この世界の悩みの大部分はすぐに解決するでしょうね。
他者がうまくいくためには、自分がどんな茨の道を通ってもお構いにならなかった方がいます。このお方は、あなたの人生がうまくいくように願い、やがては天国へ導きたいと願っておられるのです。人が生きるために自分が損をする生き方を徹底されました。最後には私たちが天国に入ることの障害になっている罪を、全部背負って十字架にかかってくださいました。そのお方の名前は、イエス・キリストです。