マルチン・ルターは、宗教改革を行なう度に極度の心配と精神的な苦痛を味わいました。一人の神父が、ヨーロッパを掌握する教皇を相手に宗教改革を行なったのですから、ものすごい圧力を受けたことでしょう。
そんなある日、小鳥が餌を食べ、木の枝の上で安心して寝ているのを見て、大きな悟りが与えられました。「あの小さな鳥は、明日の朝に食べる物も、明日の夜に寝る場所も、何も心配していない。鳥でさえ神にすべてを委ねて何の心配もせずに寝ているのに、なぜ私はこれほど多くの心配をしているのだろうか。神が一羽の小さな鳥を顧みられるならば、ご自分の子供をどれほど大切にして守られるだろうか。」その後、ルターは、自分もその小さな鳥のように神を信じ、すべての心配を神にゆだねることを決心しました。
こうしてルターは勇気と力を得て、教皇を相手に勝利し、宗教改革をなすことができたのです。
確かに鳥を見ていると、お気軽に生きているように感じます。明日の心配もしていません。毎日毎日を、精一杯生きているだけです。鳥たちが明日の食物のことや、将来のことを心配し始めたら、一体どんな鳥社会になるでしょうか? 明日のことを何も考えていない鳥たちでも神さまは養っていてくださっているのですよね。であるなら、私たちを養ってくださらないはずがないでしょう?! 神さまは語りかけています。「空の鳥を見なさい!野の花を見なさい!何か思い煩っていますか?」

マザー・テレサの言葉です。
与えるものが何もない時は、神に、その“無そのもの”を差し出しましょう。できる限り自分が空っぽでいられるように。そうすれば、神が私たちを満たしてくださいます。たとえ神様でも、もうすでにいっぱいになっているものを満たすことはできません。神は決してご自分を私たちに押しつけたりなさいません。あなた方は、神が与えてくださった愛でこの世界を満たしているのです。