あの福島の原発の半径20キロ圏内に川内村という人口3千人の村があります。そこに89歳と88歳のご夫妻が住んでいたそうですが、なんとその村にはそのご夫妻を入れて3人しかクリスチャンがいませんでした。そして原発が津波をかぶって避難命令が出されてから10日間の避難所生活を経て、大阪に住む息子さんを頼りに移住してこられました。
ある人がこのご夫妻に質問しました。「10日間の避難所生活は大変だったでしょう?」するとこのご夫妻「いえいえ、私の今までの人生の中で最も充実した10日間でしたよ。」「え? 充実していたって、どうしてですか?」「実は、今までずっと村の人たちに『頼りにしているものが、頼りにならなくなる時がくるから、神さま信じてないと大変なことになるよ』」しかし、耳を傾ける人はいなかったそうです。なぜなら、川内村の人たちは、「地球のどこかで災害が起こっても、この村にはないだろう。飢饉がきても、この村は自給自足できる農業も水産業も畜産業もある。だから大丈夫だ」と考えていたからです。ところが、地震が起こって、津波がきて、放射能が飛び散ってから、頼りにしていたそれらの全てが駄目になりました。今まで、「これさえあれば・・・」としがみついていた保険のようなものが、ことごとく流されてしまった現実の中で目が覚めて、避難所で村の人々がこのご夫妻のところにきて言ったそうです。「あなたが言っていたことは、本当だった。是非、聖書の話をしてください。」とお願いされて集まってきた人たちに、福音を伝えることができたそうです。避難所での生活は、このようにして恵みのひと時だったとのことでした。
私たちは、流されてしまうような物のために、どれだけ時間を費やしているでしょうか? しかし、神抜きの経済は必ず崩されます。神抜きの啓発思考も長続きしません。神抜きの人生ほど不安に満ちたものはありません。「心配」とは「心を配る」と書きます。「忙しい」という字は「心を亡くす」と書きます。この世のことで思い煩い、忙しさの中に悩み苦しむことがあっても、永遠なる希望の世界があることを忘れなく!