ほのぼのとするお話です。タイトルは「父の日と父の欲しかったもの」

私が小学校5年生の父の日。父に買い物に誘われた。普段から父とは仲良しだったので、喜んでついていった。行き先は御徒町。どこに行くでもなくプラプラと歩いていたら露店でバッグ類を売っていた。覗いてみると旅行用の大きな、でも薄っぺらい、お人形がたくさん描いてあるバッグがあり、手にとって見た。
「買うか?」
「いいの? でも今日は娘の日じゃなくて父の日だよ?」
「父の日だから子供に買ってあげるんだよ」
この会話をはっきりと覚えている。いいのかなーと思いながら、ニコニコ顔の父に買ってもらいました
自分が親になった今、父の気持ちが分かります。娘の笑顔が嬉しかったんだろうなぁ。流行遅れでボロボロのバッグは、未だに捨てられません。いや、一生とっとくんだろうな私。

子供から何かしてもらわないと機嫌が悪いというのは、本当の親の姿ではないでしょう。本来、父親とは、見返りなしに子供のために何かをしてあげたい・・・という気持ちを持っているものです。そして何かをしてあげることに喜びを感じるのです。
天の父なる神さまも、やはり私たちから何かをされることを望んでおられるのではありません。ただ私たちと親子の関係を楽しみたいと願っておられるのです。それは無条件に、一方的に与えてくださる父なる神の恵みです。それを喜んで受け取る私たちの笑顔を見ることが、父なる神にとっての一番の喜びなのでしょう。
ボロボロになった十字架上のイエスさまの姿は、私たちに対する最大級のプレゼントでした。私たちの罪を全部背負いたいと願っておられます。私たちは躊躇せずにその愛を受け取ることが、父なる神の御心です。