人間には、どこかに属していたいという願望があります。それは神が人に与えた帰属意識であるということが言えるでしょう。家や家族、会社、学校、組織、地位、経済、趣味など、何かに属していたいと願っている人は多いのです。中には、どこにも属したくないという場所に属している人もいるのですが・・・属しているということに安心感を得ています。それが自分を守ってくれるとか、保障してくれるとか、アイデンティティーを与えてくれるものだと考えているのです。それがなくなったら不安になります。

私が20数年前、中学校や高校を中退した子どもたちが大検資格を得るための学校で働いていました。そこには、授業料はキチンと納めているのに学校に来ない学生もたくさんいました。親もそれを承知の上で学費を払っているのです。何故でしょうか? それは実際に学校に通わなくても、属している場所が欲しいからなのです。何もしていないというのは、当時では社会的には認められない立場だったのです。ですから、「どこそこの学校に行っています」というような身分が必要だったわけです。そうやって精神的にも落ち着けたのでしょう。

お金に属していたい人は、お金がないと落着かないのです。ある貧しそうな生活をしていた人が亡くなった後、その腹巻の中から数億円の貯金通帳が出てきたというような話を聞いたことがありますが、これもその一つの例でしょう。

何かに属して安心を得ようとしているのですが、本当に安心できる場所はそんなに多くはありません。何故でしょうか? それは永遠に対する保障を受けていないからです。この一時的な地上で安心できる場所に属していても、永遠に関しては確信がないのです。ですから人間は不安を持って生きているのです。

私たち人間は本来、神に属している存在なのです。そこから離れて生きているので不安なのです。神の家族の元へ戻るときに永遠の天国へ行くことができる安心と保障を得るのです。Come back home!