聖書の中に悪魔がイエスさまにむかって「あなたが神の子であるなら、石がパンになるように命じてごらんなさい」と言い、それに対してイエスさまは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものであると書いてある」と反論される箇所があります。このような悪魔の囁きは私たちにはないように思えますが、実は日本という国は、この悪魔の誘惑にまんまと引っかかってしまっているのです。日本は、鉱石を加工して世界に売って、お金を手に入れ、それでパンに変えて成長してきました。しかしそのような方法が今や頭打ちしています。どうしてでしょうか? これらのことは生きていく上での知恵であり、当然しなければならないことですが、サタンの巧妙な罠が潜んでいるのです。それは、自分の心の声や周りの声に従って生きていく自己中心的なモノの考え方です。神によって生かされていることや、神の目的に生きる使命というものを無視させるのです。日本は、自分の能力や知恵に過信して、それによってパンを得てきたかのような錯覚をしてきました。しかし、今はそれらの頼っていたものによって、破滅へと向かっているのです。どんな繁栄も勢力も、必ず衰える時期があることを賢者であるなら悟ることができるでしょう。そして本当に知恵ある人は、何を求めるべきかを探るのです。

イエスさまは、自分の使命を忘れ、ただその時の欲求に従って生きればいいじゃないかという囁きに対して、人はパンだけで生きるものではなく、神の言葉によって生きる使命があることを強調されました。石をパンに変えることがいけないのではなく、神が語っておられる私たちの使命を忘れてはならないということなのです。人間は神抜きで人生を考えるならば、「生きるために食べるのか? 食べるために生きるのか?」という疑問の中で、堂々巡りするしかないのです。神によって生かされていることがわかると、神が私に与えてくださった目的のために生きるし、そのために食べるし、仕事もしていくのです。底辺でさまよいながら生きるのではなく、大空を優雅に生きる生き方をお勧めします。