死海は、水が入ってくるだけで、他所に水が流れ出ることのない湖として有名です。流れてきた水は、そのまま湖で潤っているのでしょうか? 実はそこにある水は、蒸発してなくなってしまうのです。死海から毎日約700万トンの水が蒸発すると言われています。そのため、死海の水の約27%が塩分なのです。この様子は、獲得するだけの生き方を描いています。握りしめて離そうとしない生き方は、それを失います。もし、受けたら他所へ流すことをすれば、死の海と呼ばれなくてもよかったでしょう。リュ・ホジュン師は「人間の罪に苦悩する神」という書物の中でこう書いています。「私たちは、自分の満足のために生きようとする誘惑によく遭います。自分だけに焦点を合わせて生きようとする誘惑です。自分のすべての力を自己の拡張と実現のためだけに使おうとする誘惑です。富や力、栄誉を貯蓄しようとする誘惑です。このような誘惑に陥っているならば、すでに死に至る道に入り込んでいるのです。イエスは『いのちを救おうと思う者はそれを失う』(マルコ8章35節)と言われました。ただ一つの道があります。自分のいのちを差し出し、親切と義と公儀を施す道です。」
私が出会った人の中には、今は問題なく平安で幸せだから、神などいらない・・・という人たちがいます。今が幸せなら、親は必要ないなんていう人はいるでしょうか? 平安だから親とは関係を持ちたくないなんていう人がいますか? もしそのような人がいるとするならば、親不孝者だと思います。神を必要とするのは、自分が困ったときだけという生き方は、まさに死海状態です。神さまが与えてくださった人生を受けとめ感謝して、それを流していく人生こそ、本当の潤いです。この世で平和で幸せなら、それに越したことはないですが、永遠の世界の問題において解決していなければ、何の得にもなりません。
一時的な安心や楽しみを求めているなら、世の中が与えるでしょう。しかし、永遠の生命を与えることができるのは、神さまのみです。これはイエス・キリストを信じることを通して与えられる恵みです。