修道院が盛んだった時代に、アントニオという修道士が修道院に入りました。彼は長くそこで修練して、これぐらい訓練できたらもう大丈夫だろうと自信を持って修道院を出ました。その時、ちょうど修道院の門前で靴屋さんが靴を直していました。修道士は彼に自分の靴を直してもらい、待っている間に話しかけました。
修道士「家族は何人ですか?」
靴 屋「子供8人に、妻と私の10人家族です。」
修道士「収入はどれくらいあるのですか? 家族がそんなに多くては靴を直すだけではお金が足りないのではないですか?」
靴 屋「・・・・・」
彼は何も言わずにただ黙々と靴を直し、少ししてからこう答えました。
「先生、私はただ主に仕える人たちが、長く楽に靴をはけるように最善
を尽くすだけです。私の家族のことは神さまが責任を持っていてくださいますから。」
 それを聞いた修道士は、自分の足りなさを悟り修道院に戻って出直しました。

 私は神奈川県の母教会から、自分に自信がついたから出てきたのではありません。逆に自分の信仰を養っていただくために出てきたようなものです。勿論、無謀な行動をしたわけではなく、神さまから押し出されるようにして、様々なしるしを見させていただいて確信を得て決心したのです。開拓宣教に対する不安がなかったわけではありませんが、「神さまが責任をとってくださる」という期待の方が勝っていました。開拓を始めて1年が経過しました。様々な出会いや出来事を通して、神さまは不思議な助けや道を開いてくださいました。まさに紅海を渡るモーセのような気持ちです。何もかも満たされている場所から、あえて荒野に出ることを通してでなければ得ることができない恵みを沢山与えられました。私たちの不足や試練は、実は私たちにとって恵みなのです。