ラインホールド・ニーバーの祈りです。「主よ、変えられないものを 受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を、我に与えたまえ。」
男性であること、女性であること、国籍、人種など、どう頑張ってみても、祈っても変えられない現実があります。変えられないことを、変えて欲しいと願っても、それは神さまが定められたことでありますから、どう逆立ちしても変えられないのです。そのような現実を受け入れる心の静けさがあるならば、そんなにストレスを溜める必要はなくなるでしょう。また、変えることができるものを、なかなか変えないで、そのままにしておく人もいます。変えるために勇気が必要となることもあります。ある時には、変えたほうが良い場合と、変えないほうが良い場合がありますが、その時には、どちらが得策なのかを見分ける知恵も必要であります。いずれにしても、私たちには「祈り」なしにはどうすることもできません。新約聖書の13の書簡を著者のパウロがこう書いています。「高慢にならないように、私の肉体に一つのとげが与えられた・・・このことについて、私は離れ去らせて下さるようにと、3度も主に祈った。ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』」(Ⅱコリント12章7~9節)。彼が今の自分の肉体にある病の現実を取り去るように変化を求めたのですが、神さまからの知恵は、高慢にならないようにそのままにしておくということでした。しかしパウロは文句を言わず、その現実を受け留めているのです。
「運命は冷たい。しかし摂理は温かい」これは神に信頼する者だけが知ることができる世界であります。突然の不幸を神抜きで考えるならば、運命だったと諦めるしかありません。しかし神のなさることは摂理として受けとめることができるのです。摂理とは嫌なこともありますが、同時に救いも残るのです。どうすることもできない問題には、焦らないで、慌てないで、受けとめ待ち祈る。これが最善の解決方法です。