世界中を飛び回っているある韓国人いて、その人は英語やドイツ語、フランス語など、何ヶ国語も身につけた語学の達人のような存在であります。日本語もかなり使えるようになってから、日本を旅行するたびに、日本語の前向き、積極的な表現に出会って、うならされてしまうことが多いという。
日本滞在中のこと、ある日、早めに昼食をすませようと、一人でレストランに入ろうと思い入り口に近づくと、店の前に「準備中」という小さな看板が下がっていて、午前11時半開店とあった。そこに着いたときは11時ごろだったので、少し待てば食事をすることができると思い、そのまま待つことにしたそうです。よその国では、「閉店」とか「営業していない」といった意味をあらわす表示をしていることが多いが、「準備中」という肯定的な表現の看板に感心したというのです。
また、沖縄の空港ロビーで、時計が故障していた時にはこのような表示がされてあったという。修理している様子はまったくないのに「修理中」。これも素晴らしい表現であると思ったそうです。この場合、正確には「修理の準備中」なのだろうけれども、とにかく「修理中」といえば、「もうすぐ直る」、「もうすぐ直しますよ」ということで、見るものに希望が残るが、「故障中」ならば、その場は絶望的ともいった気分になる。
当事者は「準備中」とか「故障中」という表現を、この外国人が感じ取ったようなニュアンスの意味で使ったわけではないのであろうけれども、日本語の表現にはおのずと積極的、肯定的な思想がにじみ出ていると褒めてくださっているのです。
私たちの人生は、「修理中」です。天国に入るための「準備中」でもあります。すべてが完成するのは、天国に入った時です。その時まで、焦らず、諦めず、神さまに委ねるのです。ゆっくりゆっくり神さまのペースで治してくださっているのです。重要なことは、故障している自分の人生を神さまの前に持って行くということです。そして繋がりつづけるということ。                 今日も良い一日を!