一人の母親が8歳の娘を白血病で失いました。死ぬ時期も近いある夜に、消灯時間が過ぎても寝付かれないでいるその子のために、若い看護師が本を読んであげたそうです。やがて静かな寝息をたて始めましたが、その看護師は、なお30分近くもベッドサイドに寄り添ってあげていたそうです。その子どもの死後、母親はその看護師にこう語りました。「あの子がその夜、ふと、薄目を開けてみたら、まだ看護師さんが傍らにいてくれた。『眠らせるためだけに本を読んでくれる人が多いのに、本当に嬉しかった』と言っておりました。」
大病を患う心細い病床で、人の出入りが少なくなり寂しくなる病院で過ごす夜に、一緒にいてくれる人がいたら、どれだけ心強いでしょうか。
ブランデンという詩人が「祖先たち」という詩の中でこう唄っています。「記録にもとどめられず 世に知られないで 人は死んで行く・・・君達の生活のほんの一瞬間もとどめられてはいない・・・」
なんと虚無に満ちた詩でしょうか。これが現実ならば、人間の生は、何の意味も持たず、ただ虚しく現れては消えて行く霧のようなものであります。
イエス・キリストは語ります。「わたしはいつもいつまでも、あなたと共にいます。」神は30分どころではなく、いつもいつまでもご一緒してくださるというのです。このお方とご一緒する人生には、安心があり、生き甲斐があります。
虚無の詩とは対照的な河野進さんの詩をご紹介します。
わたしが病むとき 主イエスさまも病んでくださる
わたしが苦しむとき 主イエスさまも苦しんでくださる
わたしが喜ぶとき 主イエスさまも喜んでくださる
十字架にかかってまでも愛してくださる
おお 主イエスさま み名をさんびするありがたさ