私の神学校時代の同級生の中に青木かのゑさん(現在86歳)という私とは母親以上に年の離れたご婦人がおられます。数年前にご自分の壮絶な人生を綴った証集を出されましたが、その中でも、結婚秘話には驚かされました。その内容はこうです。
1950年ごろから「クリスチャンを与えてください。」と祈り3年後、教会の牧師を通してある青年の方とのお話がありました。(本人曰く、「自分の好みのタイプではなく、到底受け入れがたい男性だった」とのこと)そんなことでなかなか先生にご返事することができませんでした。祈る度に心に残る御言葉は、「主はわたしたちのために命を捨ててくださった。それによってわたしたちは愛ということを知った。それゆえにわたしたちもまた兄弟のために命を捨てるべきである」(Ⅰヨハネ3の16)の聖書の言葉でした。そこで「祈って与えられた機会だから、私もこの人のために命を捨てよう」と決意して結婚したのです。ところが結婚して2ヶ月後、そのご主人が肺結核になり肋骨9本を取り、片肺摘出の大手術を受けました。ご主人が働けませんから生活は貧しい状況でしたので、かのゑさん自身が働きなんとか生活しました。身内からは、「結婚するまで病気のことを、あの人は隠していたんだ。お前は騙されていたのだから今なら別れても誰もお前を批判するものはいないぞ。」彼女はもっともなことだと思いましたが、その危機の中でも愛は冷えることはありませんでした。なぜならその愛は感情とか好き好みに土台したものではなく、「この人のために命を捨てよう」という決意のよるものだったからです。
 それから不思議なようにしてご主人は回復され54年間の結婚生活が守られたとのことでした。
 神が人を愛するというとき、聖書の原文には「アガペ」という言葉が用いられています。これは感情によるものではなく、条件付きでもない、何ができるできない関係なく、神を知っていても知らなくても、ただ一方的な決断による「愛」なのです。世の愛も物資も不安定です。しかし神の愛は変わりません。あなたも愛の安定供給受けてみませんか?