ある時、ひとりのアラビヤ人がらくだに大学の先生を乗せて、長い砂漠の旅をしました。ある所まで来ますと、アラビヤ人はらくだを止めて砂の上にひざまずき、敬虔に神に祈り始めました。大学の先生は、興味深くじっと祈っている姿を見ていました。祈り終わった時、先生はアラビヤ人に、「おい、今、君は何をしていたのかい?」と聞きました。すると、「はい、私は今、神にお祈りしていたのです。」と答えました。「ふん、神に祈った? お前はバカだね。」「先生どうして私はバカですか?」「だって、神なんか、見えないじゃないか。見えないものを信じる奴はバカだよ。」アラビヤ人は黙ってさらに旅を続けました。夜になりました。ふたりは砂漠にテントを張って一夜を過ごすことになりました。ぐっすりとふたりは眠りました。朝になりました。大学の先生は、先に目を覚ましてテントの外に出ました。すると急に大声をあげました。「おい、君、大変だ! 夕べこのテントの回りを獣が歩き回っていたぞ!」「先生、あなたはその獣を見たのですか?」「いや見てはいない。」するとアラビヤ人は、「先生、あなたもバカですね。」と笑いました。「どうしてバカなんだ?」「先生ね。あなたは昨日、見えないもの、見ないものを信じる奴はバカだと言ったでしょう?」「いや、私はバカではない。私は獣を見てはいないが、テントの回りに獣の歩いた足跡があるのだ。その足跡によって獣の存在を認めたのだ。」アラビヤ人は知恵をもって次のように神の存在について説明しました。「先生、あなたは獣を見なくても、その足跡によって、獣のいたことを認めるのですか? ちょっと見てくださいよ。美しい太陽が昇ります。そして美しい砂漠・・・これらは神の創造の足跡ですよ。私は神を見ることはできませんが、神の創造の足跡によって神の存在を知るのです。」
神さまは霊なるお方で見ることができません。しかしこの現実の世界を通して、霊の世界を示しておられます。例えば夫婦の関係を、聖書はキリストと教会との関係として表しています。この世のすべてのものは、神さまの創造の足跡です。さぁ、今日も神さま探しをしましょう!