私たちは通常、目標を持って努力してそこへ到達することを教え込まれて大人になります。別にそれが悪いわけではありませんし、否定すべきではないでしょう。むしろそれはこの世の徳と言われることですから受け入れるべきであると思います。そしてそうでないと成り立たない現実もあります。しかしその価値観は、聖書が教える救いには当てはまらないということも知っておかなければなりません。多くの人たちは、今まですり込まれたことを念頭に置いて、救いを得ようとします。すなわち、救われるために、神に愛されるために努力しようとするのです。しかし、いくら努力してもそこへ到達できないジレンマが起こります。聖書の中で、イエス様が石打ちに値する罪の女性に対して、「私もあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。」と言われた箇所があります。有罪が確定しているような女性に対して、「赦されるというところからスタートして、赦されている故にもう罪の生活から離れなさいよ」と言われているのです。赦されているという安心感の中で、この女性は歩み出すことができたのです。
 「聖書に隠された成功法則」(松島修著)の本の中に、自己実現の問題点は、「今の私は、まだ自分が望むステイタス(地位・存在価値)に達していないから、そこにたどり着くために頑張ろう」という概念が潜在的に潜んでいて、そういう人のセルフイメージは、まず根本的に低いところにあって、そこから「這い上がる」というイメージを持っているということが書かれています。ですからセルフイメージが低い人ほど、成功からは遠くなるばかりか、モチベーション(動機づけ)が継続しないということなのです。
 しかし、神があなたを愛していることを知ると違う世界が開かれてきます。「努力する」のではなく「知ること」なのです。自己実現とは、自分で定めた目標を目指すことであり、神実現とは、すでに神が与えておられる目的に向かって進むことなのです。
 忘れないでください。あなたはすでに神に愛され、赦されています。