息子が小学生の時、PTAから配られたプリントの中に非常に興味深い内容の文章が掲載されていましたのでお分かちします。
ある研究者が、一定のプログラムを通して、将来絶対に伸びる可能性を秘めたよりすぐった生徒30名を選びました。この子たちの成績は必ず伸びると太鼓判を押された子供たちでした。
そして学校にその子供たちのための特別クラスを設けて、この生徒たちをある一定期間、教育してくださいという研究者からの依頼を受けて、先生が送り込まれました。先生がその特別クラスの生徒達を見ると、どう見ても優秀には見えないような子供もいましたが、専門家が様々な観察と実験から選ばれた子だから、伸びるだろうと定めた期間、他のクラスと同様の授業を行ないました。
その結果、実際にその特別クラスの子供たちの成績が伸びていきました。やはり選ばれた特別な生徒たちであったから素晴らしい結果だったということでしたが、後でわかったことは、そのプログラム自体デタラメで、無作為に各学級の生徒が数名ずつ選ばれて、この特別クラスに送り込まれていただけだったのです。そのことは教師も親にも伝えられていませんでした。何が違ったかというと、先生たちや回りの特別クラスの子供たちに対する視線でした。「この子たちは普通の子ではない。どんな成長を遂げるのだろうか!」という期待をもってその子たちを見、教え、接していたというのです。
箸にも棒にもかからない自分中心にしか生きることができない私たちがどうして救われ、義とされ天国に行くことができるのでしょうか? それは神さまが私たちに「救われるべき者、愛する者」としての信仰の視線を送っておられる故です。
この世の中が、信仰の視線を用いて成果をあげているならば、私たちはもっと用いるべきだと思います。信仰の視線を受けた私たちは、今度は信仰の視線で他者や社会や現実の問題を見ることができるようになります。そのような信仰が与えられるよう是非祈ってみてください。