人は、みんな現実において喜びの多い生涯を願っていますし、安楽な生活を志向しています。「苦しみや悩みを、取り除いてくださる神」というのは、ただ人間が、そういうものを求める故に、そのような神を造っただけであって、実際には、クリスチャンであっても、またいかなる宗教を信じる人にも、そして神の存在を信じない人にも、本人の自業自得では片付けられないような無情な出来事は起こりえるものであります。   
新約聖書13の書簡を書いたパウロは「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語りました。聖書の教える神概念は、人間の苦しみも悩みも、すぐに解決してくれるばかりか、人間にとって一番都合の良い環境を作ってくださるお方ではないということなのです。神は、私たちの都合通りに働いてくださるのではなく、「神の都合」で働いておられるお方であるのです。「神のご勝手の神学」についてお話しなさっていた先生がいますが、ある意味、その通りだと思います。私たちにとっては都合の悪い神様ですが、実際には神がご勝手にこの世界を導いておられるのです。
アメリカにヤングという名投手がいました。ある時、インタビューされました。「どうして、あなたはそんなに三振を取る事ができるのですか?」。すると彼はこう答えたそうです。「投げる時は、一生懸命投げます。後はバッター任せです。」自分が与えられている使命に全力投球して、その後の結果は、バッターが打っても空振りでも、相手次第ということ。
私たちも「神任せ」ができれば、もっと人生のストレスは軽減されるでしょう。どんなに可愛い子供であっても、ナイフを貸して欲しいと要求する幼児に、答える親はいないでしょう。その子供にとって、今は与えられないことが必要なことだからです。
神様はご勝手なのですが、その「ご勝手」を、私たちの最善のため、私たちを愛するために用いておられるのです。もしそれを本気で信じることができるならばハッピーライフが待っています。