フィクションでありますが、アメリカのテレビ番組で、このような内容の
ものを以前に放映していました。
アメリカの大統領が、一人の死刑囚の死刑を執行するしないで、葛藤する
内容であります。タイムリミットまで、大統領の一言で死刑を取り止めに
することができるわけですが、その決断ができないまま、死刑が執行され
てしまいました。それまでに様々な人を通して、大統領に助言があったわけ
ですが、決断できなかったわけです。そのドラマの最後に教会の神父が出て
きて、このようなやり取りを大統領としました。
 神父「あなたは祈りましたか?」 大統領「勿論ですとも。祈りましたよ。
何度も何度も答えをくださいって、求めました。でも、神様は語られません
でした。」そこで神父はこのような例話を話し始めました。「ある男が川にい
ました。大雨が降って川が増水して、人々は避難を始めました。しかし、そ
の男は言いました。「私は、神に愛されているから、祈っていれば、どこかへ移されるから大丈夫。」大雨は降り続いて、川の水位が上がりました。
そしてボートに乗った人が男に声をかけました。「そこの人。避難しなけれ
ば危険だぞ!」しかし男は言いました。「私は神に愛されている。だから祈
れば必ず助けてくださる。」しばらくしてヘリコプターが飛んできて、メガ
ホンで叫びました。「はしごをたらすから、それにつかまりなさい!」しか
し男は言いました。「神に祈れば、安全な所へ連れて行ってくれるよ。」そし
てこの男は増水した水にのまれ、溺れて死んでしまいました。
 その後、彼は天国の門に立ち、神に面会を求めました。「私は、あなたに
祈りを捧げました。愛されていると思っていました。なのに、どうしてこん
な目に遭うのですか?」神は言いました。「私は無線の連絡と、ボートとヘ
リコプターを差し向けました。なのに、どうしてあなたはここにいるのです
か?」
私たちは、神からの直接的なご介入を期待していることが多いと思います。
たとえば、神様ご自身が自分に語りかけられるとか、天使を送って危険から
守ってくださるとか・・・。勿論そのような現れ方をされる場合もなくはな
いでしょう。でも、多くの場合、人を通して助けられ語られるのです。自分
を縛っている固定概念を払いのけ、もっと回りを見て耳を傾けるなら、神か
らの助けの手が差し伸べられているのを見、天からの声が聞こえるでしょう。